両面焼きそば専門店「あぺたいと」有限会社アペタイト 代表 飯野雅司

東京にある行列のできる両面焼きそばの店『あぺたいと』。
今ではテレビや雑誌でも取り上げられる人気店だが、開店当時はそうではなかった。

1961年、『あぺたいと』店主・飯野雅司は東京の八百屋の長男として生まれた。
厳しかった父親への反抗心もあり、高校を中退。一時は非行の道を歩んでいたこともあったが、父親の勧めで大分の教育機関に通ったことにより、その後の人生は大きく変わる。

大分の教育機関を卒業した飯野は、家業の八百屋を継ぐため、東京に戻った。しかし、どうしてもやりたいことがあり、家業を兄弟に任せ、大分に戻る。大分にいた時に食べた九州ラーメンの味がどうしても忘れられなかったのだ。当時、飯野が知る限り、東京に九州ラーメンの店はなかった。九州ラーメンが流行ると直感した飯野氏は大分のラーメン屋で働き始めた。しかし、1年半でその店を辞める。九州ラーメンよりも別のことに興味が出たのだ。それが『日田焼きそば』だ。
大分県日田市のご当地グルメ『日田焼きそば』は、鉄板の上で両面を焦げるほど焼く、パリパリの食感を楽しむ焼きそばだ。それを東京に持ち込もうと思ったのだ。そこで、飯野は大分・福岡・佐賀を中心にチェーン展開している日田焼きそばの専門店『想夫恋』で1年半働く。そして、そこで身に着けた技術を持って東京に戻り、『あぺたいと』を開店させた。
開店当初は好調だった。しかし、その後、低空飛行が続く。それでも飯野は『あぺたいと』が流行ると信じていた。
「不思議と自信があったんです。九州であれほど人気なんだから。同じ日本人でしょ。流行らないわけないと」 

両面やきそば専門店「あぺたいと」

転機は開店から12年後に訪れる。
「日清食品の社員が選ぶ店で、1位に選ばれたんです」
それを機にテレビ番組で取り上げられるようになり、今では行列ができる有名焼きそば店となった。
現在、『あぺたいと』は首都圏内に7店舗ある。いずれも繁盛店で、グルメサイトでも高得点を獲得している。飯野が感じた自信は間違いがなかったというわけだ。

両面焼きそば専門店「あぺたいと」